... (several lines of customized programming code appear here)

ベイエリアの歴史(15) – ヘンリー・フォードとルート66

人材輩出会社 パワハラ経営者などと書きましたが、エジソンの影響力は何かとすさまじく、その後のアメリカの屋台骨を支える産業クラスターにあちこちで深くかかわっています。アメリカというより、世界の自動車産業の父であるヘンリー・フォードも、エジソン電灯会社のエンジニアとして、そのキャリアを始めました。ここでは、現代のシリコンバレーならペイパル、日本ならリクルートのような、人材輩出企業という役割ですね。

フォードは、趣味でやっていたガソリンエンジンの改良(エンジンも自動車も、欧州ですでに発明されていた)の成果をトーマス・エジソンに見せたところ、エジソンに励まされたので、会社を辞めてスタートアップを始めます。グーグルの「20%ルール」のような感じです。テスラはいびりまくったエジソンですが、フォードとは商売で競合しないからか、単に馬があったからか、終生友情を維持しました。(ただし、エジソンはフォードの会社への投資はしませんでした。)

フォードの「エンジェル投資家」となったのは、材木で一財産築いたデトロイトの事業家でした。このためフォードは、デトロイトで最初の自動車会社を立ち上げました。1899年のことです。しかし、投資家が他のエンジニアを連れてきてしまったので、フォードはそこをすぐに辞めてしまいます。この最初にフォードが捨てた会社が、キャデラック社となります。フォード自身は、デトロイトの石炭ディーラーなどを新たな投資家として引き込み、1903年にまた新しい自動車会社を作りました。これがフォード・モーター・カンパニーです。こうして「モーターシティ」ができあがっていきます。

モデルTのインパクト

1908年、「モデルT」が誕生します。モデルTの大量生産の仕組は非常に大きなインパクトをアメリカ経済に与えました。一つは、標準品を大量生産してコストを下げ、それによって価格を下げてシェアを拡大し、ますます数量を増加させる、という「数量効果」サイクルを確立したこと。もう一つは、数量効果で生み出されたマージンを原資に従業員にたくさん給料を払い、自分たちで作った自動車を買わせるようにして、「中流階級」「消費者」をつくりだしたことです。さらにその消費者が、貯めたお金を株式市場にも投資して、「労働者=消費者≒資本家」という構造ができました。

農業ベースの「1G経済」では、農民は「生かさず殺さず」の存在でした。スペインなどの「2G経済」でも植民地は搾取の対象であり、極端な話、鉱山から出る金銀さえあれば住民は皆殺しでもよかったわけです。イギリスなどの「3G経済」の植民地はキャプティブ・マーケットですから、住民は「お客」とはいえ強引に売りつける相手であって、これまた搾取の対象でした。大きな国内市場を持つ「4G経済」でも、「資本」の発達が先行した初期の頃は「わざと目が悪い老人をべらぼうに安い給料で運転手として雇い、お客の安全など無視して儲ける鉄道」(エドワード・チャンセラーによる)のような、パワハラ資本家が跋扈したのですが、ここへきて、パワーバランスが「労働者=お客/消費者」に大きくシフトし、20世紀の世界の姿を規定するようになります。

ルート66でカリフォルニアへ突っ走れ

自動車が増えると、自動車用道路の需要が大きくなります。お客から運賃をもらえる鉄道と異なり、道路は料金が取りづらい(有料道路はあるがやや例外的な存在)ので、さすがにアメリカでも「商売」として民間企業が投資するのではなく、政府による計画・整備が始まりました。

現在のインターステート・ハイウェイ(州際高速道路)システムは戦後のものですが、アメリカを縦横に結ぶハイウェイの計画は、1916年頃から何度かにわたって検討・実施されました。「ルート66」といえば、ナット・キング・コール、チャック・ベリー、ローリング・ストーンズなど多くのアーティストが演奏しているスタンダード曲ですが、シカゴとロサンゼルスを結ぶこのハイウェイができたのは1926年のことです。日本ではまだ自動車さえ珍しかった頃なのに、この曲の歌詞によれば、「2000マイル以上」という、壮大なハイウェイです。最近では、ピクサー映画「カーズ」タイトル曲のジョン・メイヤー版もよいですね。

さて、なにかと既得権益が強い日本から来た私としては、ここで「パワハラ鉄道資本家達が大反発して政治的・経営的に自動車を葬ろうとしなかったのか?」というのがどうしても疑問として消えません。ここまでいろいろ読んだ資料には、このあたりの事情は見つかりませんでした。鉄道屋さんたちがマフィアをつかってヘンリー・フォードを脅すとか、政治家に賄賂をばらまいてハイウェイ整備法案をつぶそうとするとか、しなかったのだろうか、と思いますよね、普通。道路整備は、法案の中ではもっぱら「国防・軍事」を主眼としているのですが、このあたりなんとなく「水面下でのバトル」の存在を感じさせます。どなたか、資料をご存知でしたらぜひご教示ください。

もしかしたら、鉄道屋さんたちが「やりすぎた」ということなのかもしれません。現在の日本で「ブラック企業」が世論の反発を浴びるように、さすがに鉄道のブラックぶりが広く知られるようになり、これに対して従業員にたくさん給料を払う自動車屋さんは「ホワイト企業」として世論の支持を得たのかもしれません。(ただ、自動車会社でもその昔労働争議は激しかったという印象がありますが・・)この当時、アメリカではそれだけ「世論」というものの存在が大きくなっていたのか、とも思いますが、フォードによる広汎な「中流階級」の成立と「鶏と卵」のタイミングで、ありえたことと思います。それに加えて、ハリウッドほど遠くなくても、デトロイトという、ニューヨークから離れた場所であったから難を逃れた、ということかもしれません。

なにしろ、こうして、シカゴからセントルイスやオクラホマシティを経由して、自動車でサンタモニカまで行けるようになり、一方で鉄道は衰退して現在に至っています。

When you make that California trip Get your kicks on route sixty-six

<続く>

出典: エドワード・チャンセラー「バブルの歴史」、C.P. キンドルバーガー「経済大国興亡史」、Wikipedia